【今週のことばたち#25】のんきと見える人々も、心の底を叩いてみると、どこか悲しい音がする(夏目漱石)

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【今週のことばたち#25】のんきと見える人々も、心の底を叩いてみると、どこか悲しい音がする(夏目漱石)

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あなたはどんな「性格」ですか?

こんにちは。6月に入り、春のソワソワにも終わりを告げ、新生活が落ち着いてきたという人も多いのではないでしょうか? 昔から新生活の終わりと聞いて思い出すのが、小学生の頃に流行ったプロフィールカードです。今の小学生はそんなもの一切なく、すぐにLINEやらなんやらのSNSを交換するんだろうなあと思いつつ、同世代の皆さんなら、分かってくれるんじゃないかなぁと思います。覚えている方はいるでしょうか。一枚一枚バラバラの可愛い紙になっていて、そこに名前、誕生日、血液型、趣味、特技、などなど色んなことを書いていく物なのですが、それをクラスメイトに配って書いてもらうよう、お願いする子がいたりしたんです。それを通じてお互いを知り、馴染んでいくような、そんなアイテムでした。

大して人気者でもない僕でも、何枚かプロフィールカードをもらったりして。ちょっと緊張しながらいつもより丁寧な字で真剣に書いていたあの頃を思い出します。そこにあった項目の一つに性格の欄があって。小学生の僕は、その性格の欄とじっとにらめっこをよくしていました。自分の性格なんて考えたことなかったからです。周りからは真面目、なんて言われていましたが、夏休みの宿題を最終日までやらずに親には「やったよー」と嘘ついていたのも、自分は全て知っていて、とても真面目だなんて思えません。苦肉の策で書いたのがマイペースでした。

真面目で明るくていい子。これが僕の幼い頃からのよくある"外からの"の評価でしたが、そんな自分が少し嫌で、本当はもっと自由な、マイペースな、のんきな子に思われたくてこう書いたような記憶があります。今思うと僕はずっと、のんきな人に憧れているのかもしれない……そんな風に思ったりすることもあります。ということで、今週はそんな「のんき」な人、「のんき」ということに関する名言を扱います。

今週の名言は……

今週の名言は、夏目漱石の残したことば「のんきと見える人々も、心の底を叩いてみると、どこか悲しい音がする」です。

夏目漱石は、1867年生まれの小説家で、知らない人はいないのではないでしょうか。『吾輩は猫である』、『坊っちゃん』、『こゝろ』を始めとした日本人なら誰しもタイトルは知っている名作を数多く残しており、現在の千円札の一つ前の肖像画にも選ばれるほど、日本では著名な小説家です。

そんな夏目漱石が残したことば、『のんきと見える人々も、心の底を叩いてみると、どこか悲しい音がする』について、これから考えていきたいと思います。

「雨じゃん、クソかよ」と言ったあの人

遠回りに感じるかもしれませんが、この前あった他愛もない話を聞いて下さい。その日、僕は都内のファミレスにいました。休日だったのですが、昼下がりでお客さんの数もまばらです。僕は出入り口近くの席でドリンクバーのメロンソーダをリピートしながら、仕事の脚本をコツコツ書いていました。そこには、とあるカップルがいました。見た目はちょっとやんちゃな感じで、正直言うと、友達にはなれなさそうな、20代のカップルです。声が大きかったのもあり、なんとなく周囲も「ちょっと迷惑な人たちだな」という感じでした。

そんな二人がお会計に向かいます。女の人がお会計をしていると、男は外の様子を見て、舌打ちをし、「うーわ、雨じゃん。クソかよ」と一言、言い放ちました(そう、曇り空の天気は急に崩れ、その少し前から雨が降り出していたのです)。僕はそのことばを聞き、ほんの少しだけムッとしました。そりゃあ、雨が大好き、という人はなかなかいません。でも、なんでこの人はわざわざ雨が嫌いなことをアピールするんだろう、皆も嫌な雨なのに自分だけ被害者ぶるのってどうなんだろう、雨をクソ呼ばわりするのはどうなんだろうって。

話はこれだけで終わりです。もしどんでん返しを期待していたらごめんなさい……でも、僕は夏目漱石の今日の名言をみたとき、なぜかこの人のことを思い出し、そしてちょっと反省したんです。というのも、「もしかしたらあの人には、雨が大嫌いな理由があるかもしれないのに、それを無視していた」からです。

人の心は見えない

当たり前のことですが、人の心は見えません。ファミレスで出会ったちょっとやんちゃな彼が雨をクソ呼ばわりしたのにはもしかしたら理由があるのかもしれない。でも、彼の気持ちは分かりません。心は見えないから、僕たちは簡単に「あの人は自分勝手な人だ」と決めつけてしまう。そこには、もしかしたら深い理由があって。そういう積み重なった気持ちがあるからこそ、「雨じゃん。クソかよ」と言ってしまったのかもしれないのに。

もちろん、単に雨に八つ当たりしただけの可能性もあります。でも、そうじゃないかもしれない。心は見えないんだから、そこにある心に「想いを馳せなければ、大切なものに気づけない人生になる」って直感したんです。

言語化力は大事だけど……

今、僕がここで話していることは、すごく古臭いし、遠回りだし、しょうもないことだと思います。今の世の中はとにかく言語化する力が問われており、いわゆる察する文化、みたいなものは時代遅れとして扱われています。もちろん、僕自身も言語化の力は全く否定していません。自分の思っていること、考えていることを適切に言語化していかない限り、自分の意志は伝わらないし、社会は前に進みません。

ですが、それはそれとして、ひとりの人として、「見えていないことを見ようとする」ことはすごく大事なことというか、それができることって豊かなことだと思うんです。

明るい人は悲しい人だ

そのうちの一つでいうと、僕自身よく思うのは、「本当に悲しい人は明るい人なんじゃないか」ってことです。ここでいう明るい人は、夏目漱石のいう「のんきな人」と重なる気がするのですが、個人的に、思い悩んでいる人の中でも、人に弱みを見せられなかったり、人を頼れない人もいると思っていて。そういう人は自分の意志で明るい人、のんきな人として生きているわけですが、もしかしたら本当は悲しさで溢れている人かもしれない。

そういう人は、(それこそ)自分の弱さを言語化しないから、表向きには明るい人、のんきな人に見えるかもしれません。でも、だからといって、何の悩みもない、人生ハッピーな人ではないかもしれないわけで。うまくいえないのですが、もしそういう人がいるなら、その人はすごく悲しい人、切ない人だと思います。

だからなんだ、本当に困っているなら声を上げるべきだ、という人もいるかもしれません。ですが、やっぱり僕はそういう人の声を出せない部分は、周りが耳を傾けようとするべきだと思うし、少なくとも傾けよう、知ろうとしない人にその人達が心をひらいてくれることはないと思うんです。だからこそ今回、夏目漱石のことばを知り、改めて思ったんです。のんきな人、明るい人に見える人の心の底の音を聞ける人間になりたいなと。

ということで……

ということで、今週は夏目漱石の名言から心の問題について考えてみました。身の回りにいるのんきな人や明るい人の心の奥を見つめてみたら、なにか大切なことに気づけるかもしれないと思うので、よければやってみて下さい。僕もやっていきます。

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