【今週のことばたち#24】十五分間、英雄であるよりも一週間立派な人間であるほうがむずかしい(ジュール・ルナール)

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【今週のことばたち#24】十五分間、英雄であるよりも一週間立派な人間であるほうがむずかしい(ジュール・ルナール)

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「うっ」と思うことがありました

こんにちは。これを書いているのは3月中旬でまだまだ新型コロナウイルスの情勢も予断を許さない深刻な状況ですが、5月半ばの今はいかがでしょうか。なかなか厳しいのかな……とは思いつつ、もう少しのびのびと暮らせるようになるのを願うばかりです。

どうしても社会情勢が緊迫してくると、社会全体が窮屈になってきます。ついさっきもお昼ごはんを買おうと近くのコンビニに行ったのですが、そこで店員さんを怒鳴りつけている人を見ました。理由は分からないのですが、とにかくすごい剣幕で。バイトの子が最初は怒られていたのですが、その後は店長まで出てきて一緒に謝っていました。きっとあれだけ怒るのだから、なにか理由があるのだろうとは思いつつ、開かれた場所であれだけ自分の感情をむき出しにしてしまうのは、少し社会全体が窮屈になっているのかもしれないと、改めて実感すると同時にだいぶ「うっ」っとなりました。

きっと皆さんも日々、こうした「うっ」と思ってしまうような窮屈さややるせなさを感じることが多いのではないかと思います。それぞれの人がそれぞれの想いや葛藤があるのだろうとは思いつつ、なぜ人間は人間同士とこんなにもうまくやっていけないのだろう……と思ってしまいます。そして今日は、そんな人間の本性にも関わってくるような名言を取り上げてみたいと思います。

今週の名言は……

今週の名言は、フランスの小説家であるジュール・ルナールが残したことば、「十五分間、英雄であるよりも一週間立派な人間であるほうがむずかしい」です。

ジュール・ルナールという人物は初めて聞いたという方も多いかもしれません。ジュール・ルナールは、1864年生まれのフランスの小説家で、代表作は『にんじん』などがあります。日常的な生活の機微に着眼して、柔らかで、でも鋭い観察眼に裏打ちされた作品が特徴的です。僕自身は岸田國士という劇作家が影響を受けた人物として知り、戯曲(舞台の脚本)などを読んだりしてきました。

そんなジュール・ルナールが残したことば、それが「十五分間、英雄であるよりも一週間立派な人間であるほうがむずかしい」です。

立派に生きるってなんだろう

このことばを初めて目にした時、一番気になったのは「そもそも立派とはなんだろう」ということでした。もちろん、様々な答えがあると思いますし、どれが正解でどれが不正解、ということはないと思うのですが、ここでいう立派というのは英雄と対比されているところから、「目につかないところまで行き届いている人」、あるいは「気づかれなくてもまっすぐな生き方をしている人」などが当てはまるのだろうと思いました。

そうした人を想像したときに一つ頭をよぎったのは、ポイ捨てに関する問題です。僕は自分が比較的心が広い人間だと自負しているのですが(そんなことないよ、と思われた知り合いの方がいたらごめんなさい)、そんな僕でも「ん?」と思ってしまうのがポイ捨てなんです。山に自転車や家電を捨てるような不法投棄ももちろんとんでもなく悪いことなのですが、排水溝にタバコを捨てたり、ペットボトルをゴミ箱でも何でもないところにポンと置いてしまったり。そうした行為をみると、それはどうなんだろう、と思ってしまうことがあります。なぜ僕がここまでポイ捨てが気になるかといえば、それは「バレなきゃいいだろ」という視点に対して、強い違和感を感じているからだと思います。

バレる、バレない。よく使われることばではありますが、こうして眺めてみるとなんだか少し不思議なことばです。悪いことをしていて、それが他社に見つかる場合をバレる、見つからない場合をバレない、と表現しているわけですが、ここでいうバレる/バレないの前提には、自分自身が苦労せずして、ラクをする/得をするという視点があります。ポイ捨てはゴミを持ち歩かなくて済む、ゴミ箱に捨てずに済むという意味でラクが前提になっています。そして僕は(そしてポイ捨てを良くないと考える人の多くはきっと)、ポイ捨てが小さいことではあるものの、自分中心のラクを理由に行われたバレない不正だからこそ、モヤモヤするんじゃないかと思います。

バレなきゃ何をしてもいいのか

世の中の不正や不祥事のニュースを見ると、「あぁ、バレなきゃ何しても良いのか……」と少し力が抜けてしまうことがあります。もちろん、ニュースになった出来事はバレたからこそ、ニュースになってるわけですが、世の中にはバレてないだけで行われている不正が沢山あるんだと思います。でも、それじゃあバレなきゃ何をしても良いのかと言われれば、きっとそうではないはずで。なんだか道徳の授業で良いことを言おうとしている生徒のようで嫌になりますが、それでも「バレなければ何でもして良いんだ」という発想には問題があるんだと、言い切りたいです。

そして、少し遠回りになりましたが、この「バレなきゃ何をしてもいい」とは「思っていない」人、すなわち、たとえ自分しか気づいていなくてもいけないことはしないと心に決めている人は、ジュール・ルナールが言う立派な人なんじゃないかな、と思います。もちろん、道を歩いていて、すれ違った人がどっちの人なのかは分かりません。名札をつけるわけでもないので、それによってお給料が上がったり、昇進するわけではありません。ただ、「自分はバレなくても悪いことはしない」と決めている。でもそれって、凄く立派で、尊いことのような気がするんです。

誰も見てない、はあり得ない

もちろん、道義的に偉いとも言えるのですが、僕はそういう人が「自分を裏切っていない」という点で立派だな、偉いなと思っています。ポイ捨ての例に戻って言うと、排水口にタバコを捨てる時、誰も見ていない状況だったとしても他の誰でもない自分だけはその行為を見ています。バレる/バレないでいうと、いくら他人にバレていなくても、本当は自分にはバレている。そして、自分にバレているということは、ひょっとすると誰よりもバレてはいけない人にバレていることになってるんじゃないかと思うんです。自分自身への信頼、そのものに関わるからです。

ルナールが描いた立派な生き方とは

そう考えると、ルナールは「英雄になろうとなんかしなくてもいい、ただ自分に嘘をつかず、胸を張っていられるように生きなさい」と言いたかったのでは、と、ふと思いました。私たちは普段、英雄の物語を映画やテレビで目にし、耳にします。そうした人を見て、劣等感を感じることもあるわけですが、きっとルナールはそういう人との比較ではなく、しっかり自分自身と向き合って、まっすぐに生きてほしかったんだろうなと思います。

ということで……

ということで、今週はジュール・ルナールのことばから、生き方について考えました。少し真面目な話にはなってしまいましたが、やっぱり僕自身、真面目にコツコツ生きる、一生懸命な人が好きだし、そう在りたいなと改めて思いました。立派な人というとなんだかくすぐったいですが、でもやっぱり、自分で自分をそう思えたらそれは凄く素敵なことだと思います。

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