【今週のことばたち#22】夫婦生活は長い会話である(ニーチェ)

特集

【今週のことばたち#22】夫婦生活は長い会話である(ニーチェ)

特集

皆さんはおしゃべりですか?

こんにちは。いよいよ春も深まってきて、素敵な季節を迎えているのではないかと思います。今、これを書いているのは2月の半ばなので、皆さんの状況が本当に羨ましいです(とはいえ、寒いのも好きなんですけどね)。

僕は普段、(新米ではありますが)脚本家として脚本を書くことを仕事にしているのですが、脚本家の仕事は大きく分けると、「構成を考えること」と「会話を書くこと」の2つなんじゃないかなと思っています。

そしてこの「構成」と「会話」ですが、同じ脚本家の仕事の割に、結構使う脳が違う気がしているんです。構成を考える作業は、どこにどのシーンを置いていけば面白くなるのか、観ている人の感情が効果的に動くのかを考え、場合によっては伏線を張ったりする作業なので、なんとなく左脳メインの作業です。一方、会話を書く作業は、多少の脱線も含めて、登場人物の間でなされている会話に想いを馳せていく作業で、右脳メインの作業という感じがします。

もちろん、実際は構成を考える上で感性を使うことだってありますし、会話を書く上でロジカルに必要なものを組み込んでいく作業もあります。でも、ドラマを見ていると、「構成が面白いなあ」というドラマと「会話が面白いなあ」というドラマがあると思いますし、同じく脚本家を目指している方の脚本を読んでも明らかに「構成が得意な人」と「会話が得意な人」がいます(どっちも面白いのが一流の脚本家だと思うのですが、それは一旦置いておきますね)。

で、僕自身どちらの人かといえば、圧倒的に後者、会話を書くのが好きで、評価してもらえるのも会話がほとんどです。構成も頑張らないと、と思いながら日々やってはいるのですが、考えていて楽しいのは圧倒的に会話です。

人間の会話の中に潜むくだらなさやしょうもなさ。その人にしか話せないどうしようもない話。会話は会議と異なり、記録が取られることもなければ、(基本的には)記憶に残ることもありません。ですが、僕たちは日々たくさんの会話をして生きています。そこにはきっと人間が人間として生きていく上での何らかの歓びであったり、幸せがあるような気がしていて……。会話の魅力について話すとキリがありません。

振り返れば、小学校の給食の時間のおしゃべりも大好きでした。お昼ごはんはそっちのけで友達が牛乳を吹き出してしまうくらいに面白い話をしてやろうと、前の日から作戦を練るくらいに話すのが好きでした(毎回ずっと喋っていて、食べ終わるのが一番最後だったので、給食当番は片付け係になっていたのを今、思い出しました)。

……すみません、おしゃべりが過ぎました。本題に入ります。今日はそんな僕が大好きな「会話」にまつわる名言です。

今週の名言は……

ニーチェが残した名言、「夫婦生活とは長い会話である」です。

ニーチェと言えば、言わずとしれたドイツ生まれの大哲学者であり、『神は死んだ』という言葉は多くの本や映画等でも引用される非常に著名なことばです。

ニーチェには様々な逸話が残されており、晩年は狂気の傾向を示していたという話もあり、なんとなくではありますが、すべてを哲学に捧げた大哲学者というイメージがあります。

そんなニーチェが残したことばこそ、今週取り上げたい名言です。

夫婦をパートナーと読み替えると……

まず、この名言と向き合うときに、夫婦ということばはパートナーと読み替えたほうが自然なのではないかと思いました。夫婦ということばが悪いわけではないですが、現代には多種多様な選択・関係性がありますし、ここでニーチェが夫婦と表現した関係性は現代におけるパートナーという意味だと考えるのが自然だと思ったので、以後、夫婦という部分はパートナーと読み替えて進めていきます。

その上でこのことばと向き合ってみると、なんだか少し新鮮な気がします。というのも、一緒に生きていくパートナーとの生活において会話をすることは当たり前のことであって、取り立てて言うほどのことではありませんし、ましてや、「パートナーとの生活」=「長い会話」と言われると、本当にそれだけなの? もっと大切なことがあるんじゃないの? と思ったりもします。しかし、おそらくですが、この会話という「なんでもないこと」にこそ、パートナーとの関係のすべてが詰まっているとニーチェは考えているような気がします。

ともに生きるということ

そもそも、パートナーとの生活とは何を意味しているのか。色んな定義の仕方があると思いますが、一つの最大公約数が「ともに生きるということ」なんじゃないかと思います。ここでいうともに生きる、というのは物理的に一緒に住むことだけを意味するわけではなく、たとえ離れた場所に住んでいたとしても、「ともに生きる」ことはできるはずで。そうした、人生の矢印が大まかに同じ方向を向いていて、一緒に歩いていくこと、それがパートナーとの生活なんだと思います。

そして、ニーチェいわく、この「ともに生きる」上で一番大切なのが会話ということになるわけですが、たしかにともに生きる上で大切なのは、二人がお互いのことを分かろうとしあい、納得はできなくても理解はしようとする姿勢なんでしょうし、それは二人でゆっくりと時間を掛けて話すことでしか育まれないことのような気がします。

最初に書いた通り、会話というのは議論や討論と違い、とても遠回りで非効率な営みです。パートナーとの関係において、お互いの主義主張をしっかりぶつけ合う議論の時間も大切ですが、長く一緒に歩いていく上で必要であり、実際歩いていく上で多くを占めるのは、主義主張とは関係ないところにある、ある意味でくだらなかったり、どっちでもいいようなしょうもない、でも楽しい小さなコミュニケーションなんだと思います。だとすれば、パートナーとの生活は、まさに長い会話であり、その長い会話を楽しめるパートナーたちが幸せな日々を過ごしていくのだと思います。

ということで

ということで、今週はニーチェのパートナーに関することばから会話の持つ豊かさや魅力について、あれこれ考えてみました。無駄話や雑談というと、「もっと有意義なことに時間を使いたい」と思う人も多いかもしれませんが、仲の良い人と結論も目的もない単なるおしゃべりをするというのは人間に許された幸せの一つだと思っています。

もし気が向いたら、誰かに声を掛けたり、電話をして、気軽に「雑談しようよ」と誘ってみてほしいです。そんな人いないよ、という方はぜひ気軽にお声掛け下さい。おしゃべりなら、いくらでもお付き合いします。

人気記事Ranking
  • 月間

  • 週間

  • すべて

menu

したい・ほしいを探す

したい・ほしいを叶える