【今週のことばたち#21】雑草も花なんだよ、一度それと知り合いになるとね(アラン・アレクサンダー・ミルン)

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【今週のことばたち#21】雑草も花なんだよ、一度それと知り合いになるとね(アラン・アレクサンダー・ミルン)

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公園に来ています

こんにちは。今日はすごく天気が良くて、いつもは家に引きこもって作業するか、どこかに行くとしても近くの喫茶店くらいなのですが、せっかくなので公園に来てみました。東京のすみっこの方に住んでいるのですが、自転車で10分くらいのところに結構大きな公園があって。ドッグランとか、野球とか、ピクニックとか、スケボーとか。広くて明るい場所を求めて来た人たちをちらほら見かけます。

こういうご時世なので、マスクをして、あまり長居しないように気をつけつつ、周りに人がいない手頃なベンチに座り、今この文章を書き始めています。背中にあたっている陽の光がとても暖かいです。

あたりを見回すと何種類もの草花が目に入ります。黄色い小さな花をたくさん咲かせている背の低い草や、葉のフチが白くなっている葉っぱだったり、僕が植物に詳しければすぐに名前が分かるような、立派な名前がついているのであろう草花が目に入ります。それだけではありません。きっと名前はついているのだろうけれど、僕たちからは普段「雑草」と呼ばれてしまっているような草花も目に入ります。3歳くらいの男の子がその雑草をむしっていますが、僕たちは特に気にも留めません。

春真っ盛りの頃だとは思いますが、今日テーマにしてみたいのはそんな、名前がないと思われている草花についてです。

今週の名言は……

アラン・アレクサンダー・ミルンが残した名言、「雑草も花なんだよ、一度それと知り合いになるとね」です。

アラン・アレクサンダー・ミルンという作家の名前を知っている人は多くはないかもしれませんが、彼の代表作を知らない人はいないはずです。ディズニーのアニメーションとしても著名な『くまのプーさん』です。

ミルンはこの『くまのプーさん』を児童小説として1926年に発表し、続編も含め、この『くまのプーさん』シリーズは広く人気を集めました。1960年代からはディズニーがアニメーションを制作し、公開しはじめたことからこの原作がさらに世界的に知られることになったようです。

そんな『くまのプーさん』を残したミルンのことばが今週の名言です。

知り合いと友達の違い

このミルンのことばを僕が面白いと思ったのは、「知り合い」ということばがつかわれていたからです。僕たちも普段、この「知り合い」ということばを使っていますが、「友達」ということばと対比してネガティブなニュアンスで使われることもあるような気がしています。誰かが自分を紹介してくれるときに「私の友達です」と言われるのと「私の知り合いです」と言われるのでは前者の方が嬉しいことからも、知り合いは友達の前段階、関係性は薄いけれど見知った人、という意味で使われているはずです。

でも、ミルンは雑草を花だと知るためには「友達」になる必要はなくて、「知り合い」になれればそれで良いのだと断言しています。このことは凄い示唆的というか、僕にとっては新鮮な気づきでした。

「あ、どうも」の関係

知り合いと他人の違いを考えると、挨拶の有無というのが一つの大きな差かな、とは思っていて。どれだけ仲が良くなかったとしても(それこそ、一度名刺交換しただけ、とか、打ち上げの席で一緒になっただけ、とか、それくらいの関係だとしても)、なんらかのきっかけで知り合いになっていれば、目が合えば会釈くらいはする人がほとんどなはずです。逆に駅のホームで目が合っただけの人であれば会釈すらしないはずで。そう思うと、「あ、どうも」というのが他人と知り合いの違いのような気がします。そしてそれは、花と雑草を分ける上でも同じことのように思うんです。

たとえば、それまで単なる雑草だと思っていた草について、「◯◯という花なんだよ」と誰かが名前を教えてくれればそこから、自分とその雑草は知り合いになり、きっと一生、その草のことを「雑草」とは思わなくなるはずです。名前を知ることがなくても同じだと思います。その草をじっと見つめる瞬間があったり、興味を持ったりした瞬間に僕とその草は他人同士から知り合いになり、たとえ友達までいかなくとも、それから見かけるたびに僕は「おっ、あの花だな」と思うようになるはずです。それは、桜やキンモクセイに気づいたときほどの大きな興奮や感動は与えてくれないのかもしれません。だけど、その草と僕は間違いなく知り合いになっています。

友達が100人できなくても

今はどうか分かりませんが、僕が小学校に入った頃はまだ「♪友達100人できるかな〜」と歌わされる機会が良くありましたし、高校、大学の頃も『友達が多いやつ=偉い』みたいな構図があったような気がします。

そんな中、未だLINEのともだちの人数が11人の自分は多少肩身の狭い思いをしましたし、どこかで「これでいいのだろうか」という思いもありました。

ですが、このミルンのことばを知った時、「友達じゃなくてもいいんだ」と思いました。仲の良い人、友達と呼べる人が少なかったとしても、「あ、どうも」といえる人やモノ、草花が増えていく(知り合いが増えていく)ということは、世界の彩りが増えることにほかならず、素敵なことだからです。

このように考えると、知り合いの関係に生まれる「あ、どうも」という繋がりは本当に豊かで、そのさり気なさや軽さはある意味で、友達以上に魅力的な関係のように思えてきます。

友達を作るのが苦手でも、知り合いを増やすことはできるかもしれない。だとすれば、「自分は友達はいらないんだ」と心を閉ざしてしまうのは、少しもったいなくて。知り合いをたくさん増やしていくという方向で、楽しい人生が開けるのかもしれないと思いました。

「知り合い」を増やすには?

それではここで言うこれまでとは少し違った意味での「知り合い」を増やすにはどうすればいいのか。明確な答えがあるわけではありませんが、ミルンのことを調べたり、考える中で、やはり世界に心をひらいていくということなのではないかなと思いました。

物理的に外に出ることだけでなく、本を読んだり、映画を観たり、音楽を聞いたり、電話をしたり……。その方法は無限にあって。その選択した方法の中で、明るく心をひらいてそこにあるものに興味を持って、色んな角度で味わってみることが知り合いを増やすコツなのではないかと感じました。

「習い事の帰り道だけ一緒に話す他校の同級生」や「たまに世間話をする行きつけの喫茶店の店員さん」であったり。そうしたゆるい関係性、ふわっとした関係性を増やすことこそが、人生を豊かにしてくれるのではないかと思います。熱い友情とか、何でも話せる親友の存在とか、そういう人やものがなくても、世界が「知り合い」で溢れていくことで幸せになれるのであれば、それは一つの生き方として素敵なんじゃないかと思います。

ということで

今週はミルンの草花に関することばから、「知り合い」というキーワードから世界との関わりについて考えてみました。もしよければ、週末に近くの公園なんかに散歩へ行ってもらって、知らない「雑草」に一瞬立ち止まってもらえたら、嬉しいです。

少しずつ日も落ちてきました。僕も公園をぐるっと一周散歩したら帰ろうと思います。どんな草花と知り合いになれるのか、楽しみに行ってきます。

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