【今週のことばたち#20】愛というものは、愛されることによりも、むしろ愛することに存する(アリストテレス)

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【今週のことばたち#20】愛というものは、愛されることによりも、むしろ愛することに存する(アリストテレス)

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カフェにいます

こんにちは。4月をまもなく迎える今、皆さんはいかがお過ごしでしょうか? 僕はといえば、売れてない新米脚本家としてコツコツコツコツ脚本を書いたり、プロットと呼ばれる長いあらすじのようなものを書いたりしている日々です。代わり映えのしない毎日ではありますが、書くものがある日々をありがたいなと思いながら生きています。

普段、お話を書くときはカフェに行くのですが、このご時世ですからなかなか外出もままなりません。基本的には家で作業をすることが多いのですが、この文章を書いている今日はどうしても外に出ざるを得ない用事があり、その用事までの時間を潰すため、久々にカフェへやってきました(カフェなんて言ってますが、チェーン展開している某喫茶店です)。

久しぶりに来たので、なんとなく周囲を見渡してしまいます。不審がられない程度に周りを観察してみると、そのカップルの数に驚きました。講義をサボって一緒にいるような雰囲気の大学生カップルや、お仕事を引退され二人の時間を楽しんでいるように見えるご夫婦、そして目の前には平日の昼であることなんて何の関係もないようにのんびり時間を過ごす同世代くらいに見えるカップルがいます。

カフェだけではありません。街に出て、周囲を見渡すと、そのカップルの多さに驚くことがあります。自分自身がそこまで恋愛と縁がある人生を歩んできていないからか、世界にこんなに両思いの人たちがいるのかと思うと、本当に驚きます。

前置きが長くなりました。今日はそんなカップルの繋がり、恋愛についての名言です。

今週の名言は……

今週の名言は、アリストテレスが残した「愛というものは、愛されることによりも、むしろ愛することに存する」です。

アリストテレスといえば、古代ギリシアの哲学者で、当時の哲学を自然科学や倫理学などそれぞれの学問に分類し、体系を築いたことから「万学の祖」とも呼ばれている人です。「いつの人なんだろう……」と何気なく検索すると、出生年が紀元前384年と出てきました。昔の人であることは重々承知の上でしたが、「そんなに昔の人なんだ……」と、さっきかなりびっくりしました(紀元前と言われるともうちょっと……なんというか、逆に江戸時代くらいの人は親戚みたいな気持ちになります)。

そんな現在の学問の礎を築いた知の巨人が残した愛にまつわることば、それこそが今週の名言です。

恋愛の今と昔

当たり前のことではあるのですが、今、僕たちが存在しているのは僕たちの両親がいて、その両親たちに両親がいて(おじいちゃん・おばあちゃん)、その両親たちにも両親がいて……という果てしない昔から今の自分達がいます。子供を作らないカップルもいる以上(もちろん、異性愛以外も含みます)、この世界にいる/いたカップルの数はそれはもう果てしない数になりますし、当然、アリストテレスたちが生きていた時代もまた、恋愛という営みが存在していたことになります。

昔は今の時代と違って、自由恋愛は困難であったり、そもそもこれだけ色んな人と自由に出会ったりすること自体がありえない時代だったとは思います。ですが、きっと恋愛に関する悩みは今も昔も変わりないはずで。「あの人は自分のことがすきなのだろうか」といったピュアな悩みから「最近、パートナーの様子がおかしい」など何やら昔の昼ドラが始まってしまいそうなシリアスな悩みまで、悩みの種類は様々だと思いますが、きっと恋愛にまつわる悩み自体は今と共通しているはずです。

そんな中、知の巨人・アリストテレスは紀元前のその時代において、恋愛をどのように考えていたのでしょうか。それを表していることばこそ、今週の名言です。

紀元前の恋愛論

アリストテレスが今週の名言で言っていることを要約すれば、「愛されることではなく、愛することに意識を向けなさい」ということになると思います。

これ自体は、実は現代においてはそこまで目新しい意見ではないはずです。恋愛についてのエッセイ・随筆等にも出てきたりしますし、ちょっとませている女子高生だったら「こっちから愛さなきゃダメでしょ」くらい言っていそうです。

目新しい意見・考え方ではないならなぜわざわざこの期に及んで取り上げるのか。そのことについて、少し寄り道をしつつ、もう少し書いてみたいと思います。

愛するということについて

そもそも愛を単純に矢印で考えたとき、矢印の両方が向かい合っている状態が両思いであり、この矢印の向き、そして大きさが同じであればそれは素晴らしい恋愛であり、愛がうまく言っている状態であると言えるはずです。

ですがこの矢印が向き合うことはもちろん、仮に矢印が向き合っていたとしても、矢印の大きさが同じになること(お互いが同じだけ愛している状態)はとても難しいことなんだと思います。

なぜなら、もしこの矢印の向きが向き合い、大きさも同じにしたいなら、自分から矢印を向け、さらにしっかりと大きさを示さなければいけないからです。自分がしっかりと矢印を向けてあげない限り、相手は安心して矢印を向けることができないからです。「こっちに矢印を向けてよ!」と言ったところでそれは太陽と北風でいう北風の理屈で、きっと矢印はこっちには向かない。むしろ、積極的にこっちから矢印をしっかりと向けてはじめて、相手は矢印をこっちに向けてくれる。アリストテレスはそのことを述べているんだと思います。

……理屈だけで言えば、まさにそのとおりだと思うんです。愛し合うためには、まず愛さなければならない。アリストテレスを始め、これまでの人たち、ちょっと大人な高校生の言う通りです。でもそれができないのがきっと人間で。だからこそ、紀元前から言われてきたアリストテレスのことばが2000うん百年経った今も残っているのだと思います。

アリストテレスの恋愛

アリストテレスはどんな恋愛をしていたのか。インテリジェンスで風格もありそうなアリストテレスは、どんな人を好きになり、どんな恋をしていたのか。恋愛はお手の物だったのか、それとも……。完全に想像の世界ですが、なんとなく今週の名言は、自分自身に言い聞かせていたようにも聞こえることばです。

そうすると「まず自分から愛するんだ。愛は愛することに存するんだから」とひたすらに自分に言い聞かせて、なんとか愛を実践しようとしていた少し不器用で可愛らしい等身大のアリストテレスの姿が浮かんできます。

あの知の巨人・アリストテレスが恋愛に悩んでいたとすれば、僕たちが恋愛で悩むのも当たり前だし、むしろ恋愛のことで悩むことは自然なこととすら言えるのかもしれません。

ということで

今日はアリストテレスの恋愛に関する名言を取り上げました。多くの人を悩ませる恋愛という不可思議な魔法。古代ギリシアの哲学者を持ってしても苦戦したその困難な問いを苦しくも楽しめるような恋愛ができたら素敵だなと思います。

目の前に居た男女のカップル。女性が面白い話をしたらしく、男性が笑い、思い切りむせてしまいました。女性が男性の背中を「ごめんごめん」と、笑いながらさすっています。愛っていいなぁと改めて思う昼下がりです。

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