【今週のことばたち#13】人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ(チャップリン)

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【今週のことばたち#13】人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ(チャップリン)

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今年も終わりです

「今年も終わりです」。自分でそう書いて起きながら、今少し驚いてしまいました。「本当に?」って。一年が終わるとき僕たちはよく「今年も早かったねえ」とうんうん言い合いながら、年を越しますがこの早さの加減って、毎年本当に新鮮です。心から早いなって思えるというか。

そんな「早かったねえ」という会話をしながら大体は、今年はこんなことがあった、あんなことがあったなんて言って、一年間のお互いの総まとめ的な会話をしたりするものですが、今年は会話の中身が大きく変わってしまいそうです。

突如として出現したその小さな驚異は、いつの間にか世界中を覆い、僕たちの生活をあまりにも大きく変化させました。これを書いているのは10月半ばですが、きっとその変化は12月末でも変わっていないはずです。2020年という年はきっと、全世界でこのウイルスとともに振り返られることになり、そしてそれを語る人の顔が明るいとは思えません。

悲しいこととどう向き合うのか

2020年一番の出来事は楽しいことではありませんでした。むしろ、悲しいことと言ってしまってもいいかもしれません。その驚異によって命を落とした人も沢山いますし、それによって傷ついた人も沢山いるはずです。その驚異は、世界を不安で覆い、そして分断してしまいました。

今日はそうした悲しいことに対して、人間はどう向き合っていくのかについて考えていきます。安易な楽天主義(オプティミズム)には陥らず、かと言って単なる悲観主義(ペシミズム)にもならずに。ゆっくり丁寧に進みます。

ということで、今週取り上げることばはあの喜劇王・チャップリンの有名なことばです。

喜劇王・チャップリンという人

黒い山高帽に窮屈な上着、ダボダボのズボンにちょび髭にステッキ……。その独特な格好は多くの人が一度は目にしたことがあり、チャップリンを知らない人でもこの人だよ、と写真を見せれば「見たことある!」という人がほとんどだと思います。

チャップリンは喜劇王とも称される通り、コメディという分野で大きな成果を残した人です。映画監督・プロデューサーでありながら、自らが映画俳優として出演し、サイレントの作品を中心に大活躍しました。

僕も元々は見た目が奇抜で、サイレント映画を作っていたコメディアン……くらいの認識であまり関心はなかったのですが、5年ほど前に『街の灯』という作品をたまたま観たら、もう泣けて泣けて。もちろんベースはコメディでコミカルなシーンも多いのですが、物語に通底するペーソスに心打たれました。それ以来、好きな映画はと聞かれると、『街の灯』と答えることも少なくありません。

そんなチャップリンは沢山の名言を残していますが、その中でも特に有名で、そして味わい深いことばとして知られているのがこのことばです。

人生の悲しさについて

よく人を紹介したり、その人の性格について話すときに「明るい人」「暗い人」という言い方があります。僕が冗談やくだらない話が好きなこともあり、割と「明るい人」と言われることも多く、たしかにそうだなって思うのですが、だからといって「人生には良いことしかない!」「キラキラした人生、最高!!」とは思っていません。

むしろ、人生には抗えない淋しさや悲しさがあるし、人間はそれを抱えて生きていくしかないのだな、と思っています。ではなぜそう思っているのか。それは孤独と死です。

おいおい、読んだだけで憂鬱になることばを2つも並べるなよ……という方がいたら申し訳ありません。でも、僕にとって人生の多くを占めると思わされるのは、孤独と死の2つです。なぜこの2つなのかといえば、それはどれだけイケメンや美女でも、お金持ちでも、人間である限り逃れることができない悲しさがこの2つにはあるからです。すなわち、「人は人とわかり合えない」、そして「人は必ず死んでしまう」という悲しさから人は逃れることができないと考えているからです。

僕たちは常に人と会話をし、コミュニケーションを取りますが、実際それぞれの人がことばを獲得してきた環境は大きく異なりますし、「楽しい」ということば一つとってもその人の感じ方は微妙に異なります。また、少し哲学めいた言い方をしてしまえば、「私の感じている赤」と「あなたの感じている赤」は、同じ赤なのかというのは実際は分かり合うことはできません。これらのことから、人と人が完全に分かり合うことはないと思っています。

また死については言わずもがな、僕たちは不死身ではありません。突如として死というものに飲み込まれてしまいます。死のあとに何があるのかは生きている人間の中で分かっている人は誰ひとりいませんが、少なくとも今の自分が終わりを迎えてしまうことを否定する人はいないはずです。

こうしたことから、人生はどうしようもない抗えない悲しさに常にさらされていると思っています。

それじゃあ人生は悲劇なのか

なんだ、それじゃあ「人生は悲劇なんじゃないか」「喜劇なんてウソじゃないか」と思われた方もいたかもしれません。これは捉え方によるかもしれませんが、僕自身はそれでもなお、人生全体としてみれば喜劇なんだと思っています。

生きていれば沢山の悲しいことがあります。しかも先程見たように人生それ自体にも悲しさがあります。こんな悲しさまみれじゃあ、まさに悲劇だと思う人もいるかもしれません。

ですが、逆説的ではあるのですが、これだけ悲しさにまみれていてもなお、僕たちは嬉しくて泣いたり、大笑いしたりしています。悲しいことばかりですが、たまに楽しいこと、幸せなことがあります。そんなことがあると僕たちの心は沸き立ち、ドキドキワクワクします。

こんなにも悲しい人生なのに。それでも笑ったり歓びの涙を流せることができる。

ロングショットで見たからといって、一つひとつの悲劇は変わりません。ですが、ロングショットで見ることによってそこにはそんな悲劇に負けない小さくも素晴らしい歓びがたくさん含まれます。だからこそ、人生は「ロングショットでみると喜劇」なんだと思います。そして、それはちょうど、チャップリンが人生を掛けて描き続けてきたペーソスのある喜劇とぴったり重なっている気がします。

ということで

今回はチャップリンの有名な名言を扱いました。実はこの名言、「今目の前には悲しいことがあるけれど、それはあとになれば笑えるようになる」という意味で捉えて、そうした解説をつけた文章も割と多くあります。

僕自身も、そうした意味でこの名言を捉えることはできると思っていますし、それが悪いとも思っていません。ですが、2020年を味わった今、単に「あとになれば笑えるようになるよ」とはどうしても思えませんでした。そうした中で改めてチャップリンのこのことばと向き合う中で、そうか、ここでいう喜劇は悲しさも含めた歓びを表しているのかもしれないと考え、そのことについて、今回じっくりと書いてみました。

チャップリンが今の世界に生きていたら、なんといってくれるのか。サイレントの巨匠なので多くは語らないでしょうが、もしどうしても一言と食いつけば、今回のことばを恥ずかしげに、ぽそっと呟いてくれる気がします。

それでは、良いお年をお過ごしください。

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