【今週のことばたち#11】信じる者が一人でもいれば、その物語は真実に違いない(ポール・オースター)

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【今週のことばたち#11】信じる者が一人でもいれば、その物語は真実に違いない(ポール・オースター)

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もうすぐ冬ですね

こんにちは。いかがお過ごしですか? 11月も5週目になり、いよいよ12月がそこまでやってきました。個人的には暑がりということもあり、冬は大好きな季節なのですが、苦手な人も結構いらっしゃいますよね(季節の話って、大した話じゃないのは重々承知なのですが、どうしてもしたくなってしまいます。毎度、すみません)。

そして。無理やり冬と結びつけるわけではないのですが、個人的に秋から冬にかけては、「物語の季節」だなって思います。今日のテーマと強引に結びつけているわけではなく、心からそう思います。ハロウィーンやクリスマスにまつわる寓話がその代表例かもしれませんが、あたたかな場所でじっくりと「物語」と向き合う時間が秋や冬にはある気がして。もしかしたら、日が短くなって、家にいる時間が自然と長くなるのも理由かもしれません。暖色のライトにゆらゆらと照らされた小説世界に身を任せ、物語を旅する……うん。改めていい季節です。

今回は、そんな物語に関することばを取り上げてみたいと思います。

ポール・オースターという人

名前を初めて聞いたという方もいらっしゃるかもしれませんが、ポール・オースターはアメリカの小説家・詩人で、日本でも数多くの翻訳がなされています。ニューヨーク、特にブルックリンを舞台にした作品を多く手掛けており、なぜかブルックリンが好きな自分は、何冊もポール・オースターの本は手に取っています。

ただ、ポール・オースターを初めて知ったのは、映画でした。『スモーク』というタバコ屋を舞台にした映画なのですが、ポール・オースターはこれの原作の立場であり、脚本も担当しています。ブルックリンの街を舞台に、街に生きる人々の日常から物語を編んでいくその手法は、個人的にもとても興味深く、様々な角度で研究・分析したりしました。

「信じる者が一人でもいれば、その物語は真実に違いない」は、そんな物語を生む天才が生み出したことばです。

そもそも物語とは

Wikipediaで「物語」と調べると、次のようにありました。物語とは、「主に人や事件などの一部始終について散文あるいは韻文で語られたものや書かれたもののことを指す」。どうでしょう。ここで注目すべきは、『人や事件などの一部始終』という部分のような気がします。人や事件についての始まりと終わりがある語られたもの、書かれたものが物語である。なるほど、たしかにそうかもしれません。

僕たちは物心がつく前から物語に触れます。桃太郎のあらすじはほとんどの日本人が話せるでしょうし、シンデレラの大体のあらすじも知っているはずです。それは絵本を読むかたちで知る場合もあるでしょうし、家族や大人から聞かされるかたちで知ったりする場合もあるかもしれません。物語はそうしたおとぎ話だけではなく、「悪いことをすると鬼にさらわれる」とか、「いい子にしてればサンタさんが来る」といった、断片的な形式でも語られていると思います。映画や小説だけでなく、物語は人間にとってあまりにも密接で、身近なものなのではないかと思います。

なぜ物語が生まれたのか

動物がことばを操れるのかは分かりませんが、少なくとも人間ほど物語を生み出している動物は他にいないように思えます。これは最初に話していたとおり、人間がことばを操れることに鍵がある気がしますが、正確には分かりません。

ただ、いずれにせよ、ことばを生みだすことに成功した人間たちは、無数の物語を生み出し続け、それにより、笑い、泣き、歓び、心揺さぶられ、そして共同体を維持してきました。”もしもボックス”がないので検証のしようはありませんが、もしも、物語のない世界になったら、この世界には映画館や本屋さんだけではなく、もっと多くの何かがなくなってしまうような気がします。

とはいえ物語というものは、言ってしまえば「作り話」です。ウソ話です。フィクションです。もちろん、ドキュメンタリーやノンフィクションも、ある種の物語であることは疑いようがありませんが、物語といって一番に想起されるおとぎ話をはじめとして、人類はあまりにも多くの「作り話」を生み出しています。これはなぜなのか。ここに今回のことばを読み解くポイントがある気がします。

作り話になぜ人は涙するのか

心理学者ではないので、正確な答えは分かりません。ですが、一人の読者・視聴者として映画や小説に魅せられ、(愚かにも?)脚本家という茨の道を選んでしまった僕自身の実感としていえば、人間が良い物語に出会って涙してしまうのは、良い物語は人間の奥、魂のような部分に触れてしまうからだと思います。

魂ということばがオカルトチックに聞こえてしまうのであれば、脳の感情を司る部分に強く触れる、などと言い換えてもいいかもしれません。いずれにせよ、物語が人間の奥底にあるなにかに触れてしまうと人は感動してしまう。これはもう、理屈なくそうなってしまうのが人間ということなんだと思います。

そして、ポール・オースターの残したことばにある「真実」とは、この人間にとって普遍の原理を指しているのではないでしょうか。

物語にとっての真実とは

ひねくれた見方ですが、物語はやはり、どこまでいっても作り話です。それは誰かによって生み出された精巧な嘘であり、どれだけ逆立ちしても一般的な意味における真実ではありません。

ですが、ポール・オースターは「信じる者が一人でもいれば、その物語は真実に違いない」と言います。これはどういうことか。これまで話を踏まえて考えると、誰かにとってその物語が救いになる、心の琴線に触れるもの、信じたいと思えるものであれば、その物語は「その人にとっての」真実になる、ということなのではないでしょうか。

ある物語を目にし(耳にし)、その物語に涙した人がいたとする。その現象は紛れもなく、その人の魂に物語が届いた証拠です。そして、その物語の存在をその人が信じたいと思った。この事象を目の前にして、「この物話は作り話だよ」というのはもはや意味のない指摘です。その人の中に物語は埋め込まれ、その人とともに生きることになるからです。そしてこのとき、物語はまさしく、真実になったといえるはずです。

物語にはきっと、人間の生命に入り込み、その脈打つ鼓動を強める力のあるものであって、ポール・オースターにとって「物語なんて、所詮は作り物でしょ」なんてことばは許せなかったのかもしれません。きっと、仲のいい友人が茶化したとしても、ポール・オースターは真顔で今週のことばのようにを返すんじゃないかなと思います。

ということで

ということで、今週は小説家・ポール・オースターの物語に関することばを取り上げました。

現代社会は速さや実利重視で、どうしてもハウトゥーや勢いのあることばが流行ってしまいますが、大きな物語にしか生み出せない底しれぬ力というのは間違いなくある気がします。

そこまで大きな物語がつくれるかは分かりませんが、僕も誰かの中で生き続けるような物語が書けるよう、新米脚本家のひとりとしてもがき続けようと思います。

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