【今週のことばたち#7】不測に立ちて無有に遊ぶ(荘子)

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【今週のことばたち#7】不測に立ちて無有に遊ぶ(荘子)

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10月に入りました

こんにちは。10月に入り、少しは涼しくなってきているといいのですが、いかがでしょうか?書いている今は、8月の中旬。窓の外からは蝉の鳴き声がずっと聞こえています。

前回は、本を読むことについて、アナトール・フランスのことばを引きながら考えてみましたが、今回は僕自身が読書をする中で出会った一人の思想家のことばをご紹介できればと思います。

ソウシ?

2020年に入り、会社をやめ、4月に脚本家として「世界をひっくり返すくらい面白いお話を書いてやるぞ!」なんて、意気揚々とフリーランスデビューした僕でしたが、今回の新型コロナウイルスによって、そんなハツラツとした気持ちはほとんどしぼんでしまいました。

予定していたお仕事は白紙になり、目の前に広がっていたのは、茫洋としたなにもない時間でした。同居する家族はリモートで仕事をこなす中、当初は売り込みや営業の真似事をしたりして、あくせくしてみましたが、それもうまくまったく行かず、ホトホト困り果てた僕はただぼーっとして、本を読んだり、ネットサーフィンをしていました。

そんなとき、一人の思想家に出会いました。それが、荘子です。

高校で古典などをしっかり勉強している方からすれば、「あぁ、老荘思想のあの人ね」となるのかもしれませんが、理系の学校に進学していた僕は、名前くらいしか聞いたことがありませんでした。

ですが、とにかく時間もあったため、何気なく荘子について調べてみると、昔感動したある寓話(作り話)を作った人だと判明したんです。

僕は蝶の夢なのか

その寓話は、『胡蝶の夢』と言われているものです。

「ある日、夢の中で蝶としてひらひらと飛んでいた。しばらくして目が覚めたが、はたして自分は蝶になった夢をみていたのか、それとも今の自分は蝶が見ている夢なのか」

いかがでしょうか?聞いたことがある方も多いかもしれませんが、僕はこの話を多分、中学か高校のときくらいになにかの本で知り、とても感動したんです。そう!!そうなんだよ!!!!って。

2000年以上も大先輩も、中国のとんでもなく偉大な思想家である荘子に向かって、「俺もそう思ってた!」なんていうのは下品で申し訳ないのですが、たしかに僕自身も昔からこれに似た感覚がありました。

今の自分は走馬灯のようなものの中を生きているのではないか。という感覚です。

自分は今、おじいちゃんになっていて、家族に囲まれて、病院のベッドで目をつむって寝てしまっている。もうすぐ命を引き取る最後の瞬間に見ると言われている人生のハイライトである走馬灯。それは実はゆっくりと見るもので、自分は単にその走馬灯のような、夢の中にいるのではないか、という感覚です。

荘子の蝶ほどロマンティックではないですし、荘子の「胡蝶の夢」は、人間ですらなくなっている(蝶になってしまっている)部分も非常に重要な部分だと思われるので(原文にある「物化」という概念につながるからです)、全く同じことを考えていたわけではないのですが、この世界が夢なのではないか、現実といえるのだろうか、という根本的な感覚を中国の大思想家と共有できたことに感動したんです。

「不測」の世の中で出会ったことば

そんな経緯もあり、荘子に関する本をいくつか手に取り、読んでいきました。普段は中国の思想家の本を腰を据えてじっくりと読むような時間は暇な僕でもなかなかないのですが、今回のこの新型コロナウイルスによって生まれた莫大な時間を埋めるためには、もってこいでした。

最初はそんな形で興味本位で学んでいた荘子の思想でしたが、ある文章にたどり着き、今の自分が荘子を学んでいた意味を直感しました。それが今回の名言「不測に立ちて無有に遊ぶ」です。

このことばは、『荘子』の「応帝王篇」の中に出てくることばです。

「不測」というのは、分からない未来、不透明な未来のことを表しています。まさに現在の世界情勢とぴったり重なっており、僕はまずそのことに驚きました。さあ、その上で、そんな状況において、荘子はなんと言ったのか。

「無有に遊ぶ」べきである。

「無有」というのがなかなか厄介です。ですが、同じ東洋人として生まれた自分には本当に微かながら、この「無有」の感覚が分かる気がします。それは一言で言えば、「あるかないか分からない状態」だと言えると思います。完全なるイメージになってしまいますが、それはほとんど宇宙以前の「渾沌」(これも荘子のことばです)した状況であり、なにものも固まっておらず、まさに茫洋としており、ひらかれている、掴みどころのないような、そんな様ではないかと思います。

そんな「無有」として、「無有」に遊ぶべきだというのが、このことばの意味だと理解しています。僕はこのことばに出会ったとき、なんとなくそのことばを音読しました。

「ふそくにたちて、むうにあそぶ」

そうした途端、なんとなく心に風が吹き込んだ気がしました。スピリチュアルな能力があるわけではないので、あくまで比喩なのですが、この言葉の中に、コロナ禍で、仕事もなくなった新人脚本家が明るくなるような、魔法が込められている気がしたんです。

分からない未来を前にして

僕たちは今、まったく見えない未来に向かって歩いています。誰もが大きな不安や不満を抱えていて、そんな状況に対して怒る人もいれば、悲しむ人もいます。もちろん、感傷的になっている暇は一秒もないような状態で日々、治療にあたってくださっている医療従事者の方や現場で戦っている方々もたくさんおられるかと思います。そんな人達の存在を知りながら、なにもできない自分……。

ですが、少なくとも、世界を生きる一人として、世界が歪み切り、壊れゆくことに加担する必要はないし、そうしたことを憂いて自分を落ち込ませる必要はないんだと思うんです。しなやかに、柳のように、粛々と、やわらかに生きていけば、それはきっと自分のためになり、世界のためになると思います。そのときの、魔法の言葉、合言葉になりうるのがこの荘子のことばだと思います。

明日について考えることや計画を立てることは、素晴らしいことではありますが、ある意味で自分を縛ることであり、苦しいときがあります。そんなときには、「ふそくにたちて、むうにあそぶ」と呟いて、未来が見えない渾沌とした今を遊んでみてほしいです。

真面目になってしまうときこそ、眉間にシワが寄ってしまうときこそ、遊ぶ気持ちを忘れずに、心をしなやか動かすことを一番のことにして、なにもないこと、本来人間は自由自在に遊べることを思い出してもらえたらと思います。

調べてみると、荘子が生きていた2000年以上も前の中国もまた、大きな戦争の時代だったようで、未来の見えない日々だったはずです。多くの人が未来に憂いている中、きっと荘子は河原で昼寝でもしていたんだと思います。そんな呑気な荘子に腹を立てた人が、荘子に文句を言ったときにきっと言ったんです。

「不測に立ちて、無有に遊ぶ」

ということで…

今回は中国の思想家、荘子のことばを取り上げてみました。

荘子は今回のことばや「胡蝶の夢」だけでなく、多くのことばがしなやかで遊び心に満ちており、現代社会に生きる僕たちにとってとても多くのことを教えてくれる人生の大先輩です。

人生が少しでも辛くなったとき、このことばを思い出してもらえたら嬉しいです。

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